オープンソースAIで米国が中国に迫る勢い
「オープンソースAIは中国の独壇場」――。この1年ほど、AI業界ではそれが常識だった。誰でも無料でダウンロードして自社サーバーで動かせるオープンモデルの世界では、DeepSeek、Qwen、Kimiといった中国勢が性能ランキングの上位を占め、米国勢の存在感は薄かった。だがその構図に、変化の兆しが見え始めている。半導体大手の米NVIDIA社が6月に発表した「Nemotron 3 Ultra」は、米国製オープンモデルとして史上最高の知能スコアを記録した。最上位ではまだ中国勢がリードを保つものの、その差は着実に縮まりつつある。セキュリティや地政学リスクへの懸念から中国製モデルの採用に慎重にならざるを得ない日本企業にとって、これは見逃せない構造変化だ。
「2024年のオープンソースは遅れていた」からの激変
まず、なぜ「中国の独壇場」と言われてきたのかを振り返っておこう。
AIモデルの訓練を手掛ける米新興Trajectory社のCEOで、AIコーディングツールの米Windsurf社や米Google DeepMindで最前線のモデル開発に携わってきたRonak Malde氏は、ポッドキャスト番組Latent Spaceでこの数年の変化を生々しく証言している。
Malde氏によれば、2024年ごろまでオープンソースのAIモデルは、OpenAIなどの商用モデルに大きく遅れていた。中国アリババのQwen系モデルや中国DeepSeek社の初期モデルはあったものの、「そこまで有望には見えなかった」という。
状況が一変したのは、DeepSeek V3の登場だ。同モデルは最先端の商用モデルで使われる手法を取り入れただけでなく、GRPOと呼ばれる新しい訓練手法を世界に公開してみせた。「みんなが『これはすごい』と受け止めた。それ以降、差はどんどん縮まってきている」とMalde氏は語る。
以降、中国勢の攻勢は畳み掛けるようだった。アリババのQwenファミリーは、AIモデルの共有サイトHugging Faceで累計7億ダウンロードを突破し、米Meta社のLlamaを抜いて世界で最もダウンロードされるモデルファミリーとなった。新規に公開される派生モデルの4割以上がQwenベースというデータもある(参考記事)。さらに中国Moonshot AI社のKimi、中国Zhipu AI社のGLMといった1兆パラメータ級を含む大型モデルが続き、「自社で動かせる最良のモデルは何か」という問いへの答えは、いつしか中国製が当たり前になっていた。
一方の米国勢はどうだったか。Metaが先鞭をつけたLlamaは勢いを失い、OpenAIが2025年に公開したgpt-ossが「西側最良のベースモデルの一つ」(Malde氏)と呼ばれる状況が続いていた。オープンソースAIの主導権は、太平洋の向こう側に渡ったかに見えた。
米国史上最高のオープンモデル、Nemotron 3 Ultra
流れが変わり始めたことを象徴するのが、NVIDIAが6月1日、台北のComputexで発表した「Nemotron 3 Ultra」だ。Jensen Huang CEOが基調講演で披露した同モデルは、総パラメータ数550B(5,500億)、うち推論時に動くのは55Bという「専門家混合(MoE)」型の設計で、同社史上最大のオープンモデルとなる(発表の詳細)。
注目すべきはその評価だ。第三者評価機関の英Artificial Analysis社によるIntelligence Indexで、Nemotron 3 Ultraは48を記録した。これは米国製オープンモデルとして史上最高のスコアである。米国勢の序列を見ると、次点がGoogleのGemma 4 31Bの39、その次が3月に発表されたばかりのNemotron 3 Superの36、OpenAIのgpt-oss-120bの33と続く。つまりNemotron 3 Ultraは、2位以下を大きく引き離す独走で米国記録を塗り替えた。
伸び幅も異例だ。わずか3カ月前に出た前作Nemotron 3 Superから12ポイントのジャンプは、1桁の改善が積み重なるのが普通のこの世界では「大きな飛躍」(Decrypt)と評される。1年前には「gpt-ossが西側最良」と言われていた地点からの、急速な巻き返しである。
しかもNVIDIAは単発の打ち上げ花火で終わらせない構えだ。同社は2026年3月、仏Mistral AI社やAI検索の米Perplexity社を含む8つのAIラボと「Nemotron Coalition」を結成し、次世代のNemotron 4を共同開発中であることも明らかにしている。モデルの重みだけでなく訓練データやレシピまで公開する徹底したオープン路線で、Nemotron 3ファミリーの累計ダウンロード数はUltra登場前の時点で5,000万を超えた(参考記事)。米Accenture社、米CrowdStrike社、米Palantir社、Perplexityなど13社が早期採用企業として実際の本番業務で使い始めている。
それでも最上位は中国、ただし勝負の軸は一つではない
ここまで読むと米国の逆転劇のようだが、事実はそう単純ではない。オープンモデルの知能スコアの最上位は、依然として中国勢が握っている。
同じArtificial AnalysisのIntelligence Indexで、Moonshot AIが4月に発表したKimi K2.6は54を記録している。これはオープン・クローズドを問わず全モデル中の世界4位で、Anthropic、Google、OpenAIの商用フラッグシップモデル(いずれも57)にわずか3ポイント差まで迫る水準だ。DeepSeekの最新モデルV4 ProもNemotron 3 Ultraを上回っており、Ultraの48は「米国最高」ではあっても「世界のオープンモデル最高」ではない(参考記事)。
だが、勝負の軸は知能の絶対値だけではない。Nemotron 3 Ultraが際立つのは実用面だ。推論速度は毎秒300トークン超と、同じ知能クラスの中国モデル(DeepSeek V4 Pro、Kimi K2.6)が商用APIで毎秒50〜100トークンであるのに対し、3〜6倍のスピードで動く。運用コストも3割ほど低いとNVIDIAは説明する(Decrypt)。
この速度差は、カタログスペック上の自慢話ではない。AI活用の主戦場が、チャットでの一問一答から、AIエージェントが何十ステップもの作業を連続でこなす形へと移りつつあるからだ。1ステップごとの待ち時間は、ステップ数が増えるほど積み上がる。エージェント時代には、応答の速さがそのまま業務の処理能力に直結する。
つまり現在の構図はこうだ。オープンモデルの知能を競うレースでは中国勢がなおリードする(AI全体の最高峰は依然として米国のクローズドモデルが握っている)。一方で、企業が実際に業務で回すときの速度・コスト・使いやすさという実用レースでは、米国のオープンモデルが急速に競争力を高めている。「どちらが勝っているか」という問いは、どの軸で測るかによって答えが変わる局面に入った。
「中国モデルは使えない」組織の受け皿に
米国製オープンモデルの復調がとりわけ大きな意味を持つのが、中国製モデルを採用しにくい組織にとっての「受け皿」としての役割だ。
象徴的な動きが、データ分析大手の米Palantir社の発表だ。同社はNVIDIAとの提携拡大を発表し、米政府機関や重要インフラ向けのソブリン(自社・自国主権)環境で、自社プラットフォーム上にNemotronモデルを展開すると明らかにした。顧客がデータ、知的財産、AIシステムを自らの管理下に置けることを売りにしている(Constellation Researchの報道)。同報道は、この動きの背景を「多くの組織は中国のオープンモデルを使いたがらない、あるいは使用を制限されている。米国ではNVIDIAのNemotronが有力な選択肢として浮上している」と分析する。
クラウド側の対応も進む。米Amazon Web Services社は、政府機関向けの高セキュリティ環境であるGovCloudで、OpenAIのgpt-ossシリーズとNemotron 3ファミリーの提供を開始したと公式ブログで発表した。AWSはこれらを「米国製のオープンウェイトモデル」と明示的に打ち出しており、契約書分析や政策コンプライアンス確認といった機密性の高い業務での利用を想定する。「オープンモデルの柔軟性は欲しいが、中国製は選べない」という規制業界の需要に、米国製で応える体制が着々と整いつつあるわけだ。
NVIDIAがオープンモデルに本腰を入れる動機も、この文脈で読み解ける。同社の年次報告書には、米政府が「中国発のオープンソース基盤モデル上に構築されたサードパーティのアプリケーションやモデルへの支援を制限する規制を検討している」との記載がある。中国製オープンモデルが世界標準になれば、対中規制の巻き添えで自社のエコシステムが揺らぎかねない。米国製の有力なオープンモデルを育てることは、NVIDIAにとって地政学リスクへの保険でもあると分析されている(Constellation Research)。GPU販売という本業を持つNVIDIAは、モデル自体で稼ぐ必要がない。オープンモデルが普及するほどGPU需要が増える構造のため、収益を犠牲にせず持続的にオープン路線を貫ける、数少ないプレイヤーでもある。
日本企業にとっての意味
この構造変化は、日本企業にとって実務的な朗報である。
オープンモデルの魅力は明快だ。自社のサーバーやプライベートクラウドで動かせるため機密データを外部に出さずに済み、API利用料もかからず、自社業務に合わせた追加訓練(ファインチューニング)も自由にできる。だがこの1年、その最良の選択肢が中国製に偏っていたことが、多くの日本企業にとって導入をためらう理由になってきた。セキュリティポリシー上の懸念、取引先や監督官庁への説明のしにくさ、そして米中対立の巻き添えで将来使えなくなるリスク。技術的には優れていても、稟議を通しにくいのが中国製オープンモデルの現実だった。
その状況が変わりつつある。米国製オープンモデルが実用水準に達したことで、「オープンモデルの利点は欲しいが中国製は選べない」という組織にも、現実的な選択肢が生まれた。米政府機関が使えるレベルのセキュリティ環境で米国製オープンモデルが提供され始めたという事実は、日本企業のコンプライアンス部門にとっても有力な判断材料になるはずだ。
もちろん、留意点はある。知能の絶対値ではオープンモデルはなお商用フラッグシップに届かず、オープンモデル同士の比較でも中国勢が首位を走る。米国製がすべての用途で最良というわけではない。だが、企業の業務の大半は、世界最高の知能を必要としない。むしろ大量のタスクを速く、安く、安全に処理できるかが問われる。その土俵でなら、米国製オープンモデルはすでに十分に戦える水準にある。
NVIDIAは8つのAIラボと共同で次世代モデルの開発を進めており、この流れは一過性のものではなさそうだ。半年前の常識が通用しないスピードで、オープンモデルの勢力図は塗り替わっている。「オープンモデルは中国製しかないから」と検討を止めていた企業は、そろそろ棚卸しの時期だろう。選択肢は、確実に増えている。