AIの価値はモデルの外側へ 「ハーネス戦争」が始まった
AIモデル企業の現在の巨額な評価額は、将来の利益では正当化できないかもしれない。
米投資会社Social Capitalを率いるChamath Palihapitiya氏は、7月24日配信の人気ポッドキャスト「All-In Podcast」で、AIモデルの価格低下が今のペースで続けば、モデルを提供する企業に巨額の価値が残り続けるという計算は成り立たないと指摘した。
中国のオープンウェイトモデルは性能で米国勢に迫る一方、価格では優位に立ち始めた。同氏によると、ほかの産業では5年から10年かかるコモディティ化が、AIモデルでは数カ月で起きているという。
モデルがコモディティになれば、AI産業の価値はどこに残るのか。
Palihapitiya氏の答えは「ハーネス」である。
モデルを仕事に変える仕組み
ハーネスとは、AIモデルの周囲に置かれ、モデルを実際の仕事に使えるようにする仕組みを指す。ただし、使う人や文脈によって、その範囲は異なる。
エンジニアが狭い意味で使う場合は、モデルにどのツールやデータを与えるか、どの手順で処理を繰り返すか、結果をどう評価するかといった技術的な実行基盤を指す。モデル、ツール、データ、処理の流れ、評価の仕組みを組み合わせた部分である。これが「狭義のハーネス」だ。
一方、企業がAIエージェントを本番運用する文脈では、より広い意味で使われる。過去のやり取りや業務知識を保持する記憶、複数のエージェントを動かす仕組み、アクセス権限、監査記録、失敗時の処理、人間に判断を戻す条件までを含む。こちらの方は「広義のハーネス」と呼ぶことにしよう。
同じモデルを使っても、狭義であれ広義であれ、こうしたハーネスの設計によって、回答の品質、処理速度、コスト、安全性は大きく変わる。
2026年に入り、AI業界では「エージェント=モデル+ハーネス」という説明が広がった。米AI開発企業Anthropicは、自社の開発基盤を「Claude Codeを動かすエージェントハーネス」と説明し、米OpenAIのCodexチームも同じ枠組みを使っている。
Palihapitiya氏が価値の残る場所として捉えているのは、単にAIモデルにツールなどを接続する狭義のハーネスではない。モデルを企業の業務につなぎ、安全かつ安定的に動かす広義のハーネスだ。
モデルを替える前に、ハーネスを見直す
ハーネスの設計は、コストや処理速度にどれほど影響するのか。文章生成AIを開発する米Writer社は7月、ハーネスの設計を変えるだけで、コストや処理速度がどれほど改善するかを調べた。
企業の実務を想定した22種類のタスクをAIモデルに実行させ、AIモデル、タスク、評価基準を変えずに、従来型のハーネスと改善したハーネスの結果を比較した。
改善したハーネスを使うと、従来型に比べて、タスク当たりのコストは41%削減され、処理時間は44%、使用するトークン量は38%減った。一方、品質を示す評価値は0.78から0.81へわずかながら上昇した。
ちなみに高価なモデルから安価なモデルへ乗り換えた場合のコスト削減率は36%程度だった。このテストに限れば、コスト削減効果は、モデルを変えるよりハーネスを変える方が大きいということだ。
なぜハーネスでこれほど差がつくのか。
理由の一つは、AIエージェントの入力データ量が出力データ量よりはるかに多いからだという。一般的な企業の業務では、AIエージェントに対し、同じ資料や指示を繰り返し読ませることが多い。Writer社によると、エージェントが読み込むトークン量は、出力する量のおよそ100倍に達するという。
そこでハーネスを工夫し、過去に読み込んだ内容をキャッシュ(以前読み込んだ内容を一時的に保存しておく仕組み)から再利用できるようにすれば、入力データ量が減り料金を抑えられることになる。Writer社のテストでは、ハーネスを工夫することで読み込みデータの99.9%をキャッシュからの再利用で賄えたという。
この他にも、必要な情報をどの順番で、どの形で渡すかが、エージェントのコストを左右することも分かったという。つまりモデルの性能だけでなく、ハーネスも重要だということだ。
エージェント開発基盤を手がける米LangChain社と米半導体大手NVIDIAも7月8日、同様の実証結果を発表している。
使ったのは、NVIDIAが開発したオープンウェイトモデルのNemotron 3 Ultra。オープンウェイトモデルは、モデルの中身が公開され、利用企業が自ら用意したサーバーで運用できる、いわば無料モデルだ。無料というのは開発したAI企業へのモデルの使用料が不要という意味で、実際には、電力代金に加え、サーバーなどの機材などの購入やレンタルのコストが必要。クラウドサービスを利用する場合はクラウドの使用料などのコストがかかる。
LangChainは、Nemotron 3 Ultraに合わせて、システムへの指示、ツールの説明、モデルとツールの間に置く処理などの点で、ハーネスを工夫したという。
その結果、127問からなる独自のテストで、ハーネスを工夫したNemotronは最高0.86というスコアを記録した。Anthropicの有料上位モデルOpus 4.8のスコアの最高値は0.87。無料モデルなのに、有料の上位モデルに近い成績を出したわけだ。一方、テストを1回実行するコストは、Nemotron 3 Ultraが約4.48ドル、Opus 4.8が約43.48ドルだった。ほぼ同じ成績を、約10分の1の費用で実現したことになる。
LangChain共同創業者のHarrison Chase氏は、「より良いエージェントを作るには、ハーネスを改善し続けることが必要だ」と述べている。
AI開発を速くし、知識を残す
Palihapitiya氏は投資家である一方、起業家として自らこの市場に参入、8090 Solutionsというスタートアップを創業している。
「8090」という名前には、「既存の業務ソフトが持つ機能の80%を、コストを90%削減して開発する」という意味が込められている。もともとはAIとオフショア開発を組み合わせたサービスから始まったが、現在は開発基盤を提供する企業へ転じた。
同社は今年1月31日に主力製品となるSoftware Factoryを一般公開した。Palihapitiya氏はX上で、ある顧客が年間1,500万ドルを支払っているSaaSを、自社開発のソフトに置き換えるための仕組みを構築中だと明かしている。
Software Factoryは、AIにコードを書かせるだけの開発ツールではない。事業上の要望を、要件定義、技術設計、実装、テスト、運用後の改善へと順番に落とし込み、開発の全工程をつなぐ基盤である。
出発点になるのは、経営者や事業責任者が示す事業上の目的だ。どんな問題を解決するのか。誰が使うのか。何をもって成功とするのか。こうした内容を、コードが作られる前に平易な言葉で定義する。技術者とAIは、それを具体的な設計や作業指示に変え、コードを作成する。
Software Factoryの基盤上で、開発の全工程が繋がっているので、要件が変われば、設計や実装のどこに影響するのかを確認できる。誰が何を決め、その判断がどのコードやテストに反映されたのかも記録に残るという。
また最初の責任者の要望だけではなく、開発途中でのユーザーとの会話、戦略文書、現場からのフィードバック、過去の設計判断などもこの基盤に一元的に保存するようになっている。熟練者が持つ判断基準や作業手順も、AIが再利用できるルール、スキル、自動処理、ガードレールへ変わるように設計されているわけだ。
これだと担当者が退職しても、その人の頭の中にあった知識が失われにくくなる。同じ製品を改修するときや、似た案件を始めるときにも、要件や判断基準を一から作り直す必要がない。
8090 Solutionsによると、医療分野のある顧客では、最初の案件で蓄積した要件や設計上の成果を次の案件に持ち越し、数カ月かかっていた作業を数週間に短縮できたという。
こうした仕組みが特に重要になるのが、医療、保険、金融、航空宇宙、エネルギー、政府機関など、規制の厳しい産業だ。これらの分野では、システムがどの要件に基づき、誰の判断で作られたのかを後から説明できなければならないからだ。
同社が代表事例として挙げているのが、米国の公的医療保険を運営するメディケア・メディケイドサービスセンターである。
同社は1,800万行に及ぶアセンブラとCOBOLのプログラムを解析し、古いコードに埋め込まれていた制度上の判断や処理条件を、人が読める業務ルールとして整理したという。それぞれのルールが、元のプログラムのどの部分に基づくのかも後から確認できるようになっている。
これにより、長年使われてきたシステムの仕組みを理解したうえで、改修や刷新を進めやすくなる。同時に、古いコードや担当者の経験に閉じ込められていた知識を、将来の開発に使える形で残せるという。
開発から運用まで、ハーネスを押さえる競争
8090 Solutionsは、AIモデルの周辺で動くツールやデータ、テストに加え、業務の目的、ユーザーとの会話やフィードバック、設計判断などAIモデルの実行基盤の開発を支援する。つまり広義のハーネスの開発を支援する企業だ。一方、MicrosoftやSalesforceは、AIエージェントを企業内で運用するための基盤を提供する。AIエージェントは、AIモデルと狭義のハーネスの組み合わせであり、そのAIエージェントを管理、運用するための基盤は、広義のハーネスになる。
米Microsoftは5月1日、企業内のAIエージェントを一元管理するAgent 365の一般提供を開始した。自社製、他社製、オープンソースを問わず、社内で動くエージェントを登録し、所有者、利用状況、接続先、アクセス権限を一つの場所で確認できる基盤(広義のハーネス)だ。許可されていないデータに接続していないか、想定外の操作をしていないかも監視する。問題が見つかれば、権限を制限したり、利用を停止したりできる。
Microsoftによると、一般提供前の2カ月間だけで、数千万のエージェントがAgent 365に登録された。
米顧客管理ソフト大手Salesforceも、複数企業のエージェントを横断的に接続・管理するAgent Fabricを拡張した。米統合基盤企業Boomi、米Oracle、米Amazon Web Servicesも、エージェントの接続先、権限、動作を管理する基盤、つまり広義のハーネスを相次いで投入している。
狭義、広義のハーネスの提供から開発支援まで、ハーネスに関連するいろいろなサービスが次々と登場し始めた。今後、一般企業のAIエージェント導入が本格化する中で、ハーネス関連市場はますます活性化しそうだ。
基本的なハーネスもコモディティになる
中国モデルの躍進で、AIモデルのコモディティ化が進むと言われる中で、ハーネス市場が有望視されているわけだが、ハーネスさえもいずれコモディティ化するという指摘もある。
Ry Walker氏はブログ「The Harness Is Commoditized」で、モデルにツールを使わせるための基本的なハーネスは、すでに差別化が難しくなっていると指摘する。
音楽配信大手Spotifyは、自社開発のソフト開発基盤からオープンソースの開発ツールGoose、同Aider、AnthropicのコーディングエージェントClaude Codeへと相次いで乗り換えている。米決済大手Stripeも、自社の開発基盤へ接続するため、Gooseを改変して利用した。Goose、Aider、Claude Codeともに、AIモデルにコーディング用のハーネスと組み合わせた開発ツールだ。つまりSpotifyもStripeも、開発ツールのハーネスを簡単に乗り換えているわけだ。
開発ツールとしてはAnthropicのClaude Code、OpenAIのCodexが今は人気だが、今後オープンソースの開発用ハーネスの性能が向上すれば、Walker氏の指摘通り、ハーネスもコモディティ化していくのかもしれない。
最終的に残る価値を手にするのは
Walker氏は、ハーネスがコモディティ化しても、価値が残るものがあるという。その一つが、AIに仕事の前提を理解させる「文脈(コンテキスト)」だ。ソフトウェア開発なら、コードの構造、共有ライブラリー、データベースの項目、過去の設計判断などが含まれる。
一般業務では、誰に承認権限があるのか、どの社内資料が最新なのか、どの部署では何をもって作業完了とするのかといった、文書に明記されていない慣行まで理解させる必要がある。
社内文書を検索できるようにすれば済む問題ではない。同じ事柄について、経営者と現場の認識が食い違う場合もある。何が現在の正式なルールなのかを確かめ、AIが使える形で更新し続けなければならない。
過去の仕事を次の仕事に生かす「記憶」も必要になる。前回どの情報を使い、どこで失敗し、人間からどんな修正を受けたのかを引き継げなければ、エージェントは毎回ゼロから同じ作業を繰り返す。
さらに、企業固有の「スキル」がある。これは「売上を調べる」といった指示文だけを指すのではない。どのデータベースのどの項目を参照し、どのAPIを呼び出し、結果が正しい形式になっているかをどう検査するのかまで組み込んだ、実際に動くソフトウェアである。
複数のエージェントに仕事を分担させる手順、作業がどこまで進んだかという状態、社内システムとの「接続方法」も、企業ごとに異なる。こうした部分は既製品だけでは対応しにくく、多くの企業が自社で作り込んでいるとWalker氏は指摘する。
つまり、AIモデルとツール、データをつなぐ狭義のハーネスはコモディティ化する可能性があるが、ハーネスの外側にある「文脈(コンテキスト)」「記憶」「スキル」「接続方法」などは、その企業だけが持つ知的資産でコモディティ化することはないとWalker氏は主張している。
同氏が狭義のハーネスの外側にあるとする「文脈(コンテキスト)」「記憶」「スキル」「接続方法」などは、実は広義のハーネスの中身でもある。
ハーネス戦争は始まったばかり。まずは狭義のハーネスの覇権争いが行われている。AnthropicのClaude CodeとOpenAIのCodexはまさしく、そうした覇権争いだ。そして広義のハーネスでは、8090 SolutionsやMicrosoft、Salesforceなどが台頭している。
どこかが覇権を取るのかもしれないし、オープンソースの性能が向上し、ハーネスもコモディティ化するのかもしれない。どちらにせよ残るのは、広義のハーネスの中身。それこそが企業の知的財産になる。やがて企業のそうした知的財産を守る仕組みが登場してくることだろうと思う。それを提供する企業、そしてその仕組みを使って生産性を大きく伸ばす一般企業こそが、最終的に残る価値の果実を手にすることになるのではなかろうか。