進化し続ける富士フイルムのDX
生成AIとデジタルトラストプラットフォームで
各事業のステージアップを目指す
執行役員 CDO ICT戦略部長
富士フイルム株式会社
取締役 執行役員 CDO
ICT戦略部長 兼 イメージング・インフォマティクスラボ長
2022年後半、エクサウィザーズでは富士フイルムのDXの取り組みについてインタビューをさせていただきました。それから約2年が経過した現在も「DX注目企業2024」に選定されるなど、同社のDXの取り組みはますます進化しているように見えます。この間、どのようにDXを推進し、どのような変革を実現してきたのでしょうか。執行役員 CDO ICT戦略部長である杉本征剛氏に改めてお話を伺いました。
進化し続けるDX事業の取り組み
Q.前回のインタビュー後、新たに生まれたDX事業を教えてください。
半導体材料事業向けに、マテリアルズインフォマティクスを使った新規材料の発見に、当社独自のアルゴリズムを組み込んだ生成AIを導入し成果を上げています。
従来の材料開発は、あるターゲットの化合物構造を作る際に、開発者は自分の経験や知見を活かして有効な構造を想定する必要がありました。そして、その候補となる化合物を実際に合成して、物性を調べるといった試行錯誤を繰り返さなければならなかったのです。生成AIを導入することによって、この試行錯誤の部分の効率化を実現しました。例えば、化合物の大きさやコスト、熱性能の優劣などといった条件を指定すると、生成AIがそれに合致した構造物を提案してくれる上に、実現可能性の高い順に順位付けまでしてくれます。ある化合物を見つけるまでに、これまで年単位の時間がかかっていた作業が、数ヶ月ほどに短縮できるようになりました。
当社では、マテリアルズインフォマティクスの研究を2016年から続けており、その集大成として完成したものです。生成AIがシミュレーションしてくれることで、実際に実験をする機会が減り、環境負荷の低減や働き方が改善されるだけでなく、人の発想に限定しない未知の化合物構造の発見にもつながりました。
出所:2023.11.28 DX記者説明会資料 富士フイルムグループ DXの取り組みのご紹介
Q.素晴らしい成果ですね。そのほかにも事例がありますでしょうか。
インドやモンゴル、ベトナムなどに開設している健診センター「NURA(ニューラ)」も充実してきています。健診センターに当社のAI技術を活用した診断機器を設置し、がん検診をはじめとした生活習慣病検査を、2時間程度で受けられるサービスを提供しています。
健診データはご本人の同意の下、取得させていただいています。今後はこうしたデータを、個人主権で流通できる仕組みを作る計画です。例えば、ご本人の意思で健診データを保険会社に提供することで、自分に合った保険を選べるようになるかもしれません。また、創薬メーカーが治験をする際に、健診データからその治験に合う患者さんとマッチングすることも可能となるでしょう。
出所:2023.11.28 DX記者説明会資料 富士フイルムグループ DXの取り組みのご紹介
トラストファーストで各事業領域のステージを上げる
Q.この2年の間にもDXの取り組みは、さらに高度化してきていますね。こうしたDXを推進する上で、どのような方針を掲げてきたのでしょうか。
DXのロードマップとして、3つのステージを定義しました。製品・サービスそのものが持つ「機能価値」を高め、継続的に提供していく「ステージI」、お客様に提供する利用価値を高め、継続的な提供価値の最適化を行う「ステージII」、そして社外とも連携し、より大きな社会課題を解決するビジネスエコシステムへと進化させる「ステージIII」です。
こうした各ステージと各事業領域のマトリクスで、全社のDXの取り組みをプロットしてマネジメントする中で、グループとしてどのようにDXを進めていくべきかが見えてきました。今後注力していきたいのは、メディカルシステム事業、イメージング事業と半導体材料事業です。また、バイオ医薬品の開発・製造受託(CDMO)などは成長市場であり、顧客からのDXへの期待も高いものがあります。
出所:2024.10.17 DX記者説明会資料 富士フイルムグループ DXの取り組みのご紹介
そのベースとなるのが、23年に実運用が始まった「デジタルトラストプラットフォーム(DTPF)」ですね。
DTPFはブロックチェーンを活用し、情報が改ざんされないことを保証するプラットフォームです。ただ、プラットフォームだけでは何もできないので、その上で動くアプリケーションを作らなければいけません。
初期の頃は、IT部門が伴走しながら、生産現場とアプリケーションの仕様を決め、小さなトライアルを繰り返しながら完成度を高めていきました。ただ、アプリを作り込んでも、後から仕様が変わっていくことが多々あることがわかってきました。現在は、生産現場の方が自ら仕様変更できるようなローコードツールで開発しています。このツールによって、今では、かなり現場が自走できるようになってきています。
特にイメージング事業のサプライチェーンの管理では、現在サプライヤー様300社、3.2万品目に展開し、本番稼働しています。これまでは、電話やメールなどで部品流通の管理しており非常に大変だったのですが、リアルタイムで情報共有ができるようになり、在庫削減に大きな効果を発揮しています。
出所:2023.11.28 DX記者説明会資料 富士フイルムグループ DXの取り組みのご紹介
Q.DTPFにブロックチェーンを導入した意義を教えてください。
DTPFに導入したブロックチェーンは、コンソーシアム型と呼ばれるものですが、運営主体は富士フイルムであっても、我々がデータを改ざんすることは実質不可能な仕組みとなっています。そしてデータに透明性があるので、改ざんしていないことを証明することも可能です。
NURAの健診データやデジタルカメラのサプライチェーンのデータなど、第三者の間で情報が渡るような場合、その取引の証跡をしっかりと残していかなければなりません。社外の皆さんにも安心して参加してもらえるような、トラストファーストな仕組みは、多少のコストをかけてでも実現する必要がありました。
生成AIは一緒に仕事をしていく副操縦士
Q.24年4月に、中期経営計画「VISION2030」を策定されました。これに向けて、どのようにDXを推進していくお考えでしょうか。
各事業領域において、ステージIからステージIIへ、そしてステージIIIへと、ステージアップしていくことに取り組んでいきたいと思っています。2030年に向けて、モノ売り中心の事業がコト売りであるサービス事業へと広がることで、より高い収益性が実現できると期待しています。
その中で、中心になってくるのがDTPFと生成AIです。DTPFは、事業がステージIIIに入り、ビジネスエコシステムを作る際の必須の要素となると考えています。
また生成AIは、IT部門ではない人でも、簡単なプロンプトで使えるようになったことが非常に大きな意味を持ちます。これにより、圧倒的な業務改善が進むはずです。これまでの業務プロセスの改善は、一部の工程を省力化するというアプローチでしたが、生成AIでは、ある業務のすべてを置き換えることが将来的にはできるのではないかと思っています。例えば、会議の議事録を作成する業務がいらなくなるということはすぐにイメージできます。
ただ、こうしたことは、人の仕事がAIに奪われるという議論ではないと私は考えています。今、私の過去の原稿などを読み込ませて、私自身の生成AIを開発しているのですが、このAIをより賢くしていくには、私自身がもっと色々な経験をして、さらに成長し、それを教え込んでいく必要があると感じています。つまりAIは仕事を奪う相手ではなく、一緒に仕事をしていく副操縦士なのです。
将来的には、社員全員の副操縦士を作り、その副操縦士がオンライン会議などの場で活躍するというようなイメージを持っています。今日は別の仕事に集中したいので、この会議は副操縦士に任せ、後で議事録を確認するなどといった働き方も可能となるかもしれません。
独自のガイドラインでAIのリスクを管理、RAG開発も推進
Q.EUでAI規制法が成立するなど、AIの安全性をどう確保するかの議論が各国で進んでいます。貴社では、どのような取り組みをされていますか。
現時点で最も厳しいと言われているEUのAI規制法を参考にしながら、当社独自の基本方針を作成しガイドライン化して、ガバナンスをかけています。また、AIのセンターオブエクセレンス(CoE)の体制構築を進めており、AIに関する最新情報を収集、リスク管理に取り組んでいるところです。
お客様にサービスを展開する上で、各国の規制に従うのは当然です。ただ、社内に安全な環境を作り、新たなチャレンジを続けていくことも重要だと考えています。規制されているからといって何もしないというのではなく、何が危険で何が安全なのかを経験を通じて学ぶことが非常に大切です。
Q.生成AIの活用状況について教えてください。
当社は、チャット型生成AI利用環境「Fujifilm AIChat」を自社で構築し、グローバルで社内に展開しています。社員に利用状況のアンケートをとったところ、概ねポジティブな反応が多く、エンジニアがコードを生成したり、研究開発現場において、各領域の論文のサマリーを抽出するなどといったところで活用が進んでいます。
また、当社が独自に開発し、社内外に展開するAIチャットボットプラットフォームへの生成AIの活用も進めています。社内向けには社内業務やルールに関する質問に対応するだけでなく、ITコンシェルジュとして、IT関連のさまざまな質問にも答えられるようになっています。さらに、お客様向けにはウェブサイトでの質問対応にも活用しています。
より回答の精度を上げるためのRAG(Retrieval-Augmented Generation)にも、色々なチャレンジをしており、RAG専門の人材を育成して開発を進めているところです。
コールセンターなどで使うFAQを作る際にも、これまでのメールのやり取りや応答記録などをRAGで覚え込ませれば、QAのペアを作らなくても、話し言葉に近い、より自然な回答を生成してくれるようになるでしょう。
ハイブリッド人材を育成、非構造データの生成AI活用を目指す
Q.現在、DX人材の育成にはどのような取り組みをされていますか。
今、力を入れているのが、事業現場の各専門領域でデジタルを前提とした新たなビジネスモデルを構築できるような、ビジネスとデジタルの両方のスキルを持ったハイブリッド人材の育成です。そういった人材をいかに育成できるかが、今後のDXを推進する上での競争力の源泉となるでしょう。
冒頭でお話しした、マテリアルズインフォマティクスの事例は、ケミカル分野の専門家がデジタル技術を駆使して開発した、まさにハイブリッド人材の成果です。他にも、法務部門にデジタルに強い人材が出てくれば、株主総会のDX化が進むかもしれません。それぞれの事業ドメインの専門性をしっかり持った人が、デジタル技術を活用し自身のビジネスを成長させていくことを期待しています。
Q.最後に、今後目指すビジョンについて語っていただけますでしょうか。
繰り返しになりますが、各事業領域においてステージIIIを目指し、デジタルトラストプラットフォームを活用したビジネスエコシステムを作ることで、外部の企業関係者の方々との協力関係を築きながら、当社だけではなし得ない社会課題の解決を実現していきたいと思っています。また、生成AIの進化を常にウォッチし、しっかりと製品サービスや業務プロセス変革に結びつけていきたいですね。