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イーロン・マスク氏の優位性は、デジタルとリアルから高速学習する計算基盤

イーロン・マスク氏の優位性は、デジタルとリアルから高速学習する計算基盤

米宇宙・通信・AI企業SpaceXの最高経営責任者Elon Musk氏は、年内に投入するGrok 5に、SpaceXが25年間に生み出してきた「基本的にすべてのデータ」を学習させると明らかにした。

「これによってGrokは、圧倒的に最高のエンジニアになる」

強気な発言だが、Musk氏には裏付けとなる資産がある。世界最高峰級のAI計算基盤、ソフトウェア開発の試行錯誤を蓄積するCursor、そしてロケット開発のデータだ。Grokはデジタル世界から物理世界のエンジニアリングへ進めるのか。

世界最高峰級の実験基盤

xAIのデータセンターが世界最高峰級といえる理由は、GPUの保有数だけではない。大量のGPUに電力を供給し、冷却設備と通信網を整え、巨大な計算クラスターとして短期間で稼働させ、運営する能力にある。

Musk氏の陣営は、最初の巨大データセンターColossusを122日で稼働させ、その後は建設期間を91日、66日へと短縮した。米半導体大手NVIDIAの最高経営責任者Jensen Huang氏も、この建設速度を「超人的」と評価している。AIインフラでは、GPUを保有することと、実際のモデル訓練に使える状態で安定稼働させることの間に大きな差がある。xAIは、その立ち上げを他社にない速度で繰り返してきた。詳しくは、AI新聞の「マスク氏がAIインフラの有力候補に」で取り上げた。

この計算基盤の最大の価値は、大きなモデルを一度訓練できることだけではなく、多数の仮説を実際のモデルで試し、効果のない方法をすぐに捨て、次々と新しい仮説を試せることにある。

元xAIエンジニアのSulaiman Ghori氏は、xAIの研究チームが大量の実験を繰り返す開発手法について説明している。

例えば、xAIが開発する「Human Emulator」と呼ばれるAIエージェントは、人間によるパソコン操作のログや、画面上での行動履歴などを学習に使う。

ただし、データをそのままモデルに投入すればよいわけではない。画面上の何を観測対象とするのか。どの情報を現在の「状態」とみなすのか。マウス操作やキー入力のどこまでを一つの「行動」と定義するのか。どの結果を成功または失敗と判定するのか。研究チームは、こうしたデータの捉え方について多数の仮説を立て、実験で確かめているという。

ある仮説に基づいてモデルを訓練し、実際に操作させる。期待した結果が出なければ、その仮説を捨て、別の定義やモデル構成を試す。この試行錯誤を高速で繰り返すために必要なのが、巨大な計算基盤である。

Ghori氏によると、xAIでは新しいモデルを毎日、場合によっては1日に複数回作り直している。GPUラックを設置してから数時間で訓練を始めることもあるという。同氏は、xAIの最大の優位性はハードウェアにあり、データセンターの展開能力では「ほかの企業は近くにもいない」と語っている。

2025年12月にGoogleがGemini3をリリースしたことで、GoogleがAI業界の覇権を握ったという主張が一般メディアを賑わせた。その際に著名投資家のGavin Baker氏は一時的な優位に過ぎないと反論していた。AI業界で優位に立つには、NVIDIAの最新の半導体を組み込んだ巨大データセンターを高速で実装し、効率よく運営するAIモデルメーカーだと指摘していた。(参考記事:Google優位論は本当か?──Gavin Baker氏の主張

GoogleのAI部門で大幅な人事刷新があったことで、AIの最先端モデルの競争からGoogleが脱落したことが誰の目にも明らかになった。Baker氏の主張が正しかったことが立証された形だ。

 

デジタル世界のエンジニアリングで先頭グループへ

大量の実験を可能にする計算資源があっても、AIに何を学ばせるのかというデータがなければ、性能は上がらない。

Musk氏の陣営が手にした二つ目の強みが、AIコードエディタCursorである。SpaceXはCursorを開発する米Anysphereを600億ドルで買収する契約を結び、Grok 4.5もCursorと共同で訓練した。

Cursorの価値は、大量のソースコードを保有していることだけではない。公開されたコードなら、ほかのAI企業も入手できる。

CursorはGrok 4.5の訓練に、開発者とAIのやり取りや、AIが開発環境で取った行動を含む「数兆トークン」のデータを使ったと説明している。

そこには、開発者がどのような課題をAIに与えたのか、AIがどのコードを提案したのか、利用者がそれを採用、修正、破棄したのかという結果も含まれる。コード補完機能「Tab」だけでも1日4億件を超える要求を処理し、提案が受け入れられたかどうかをモデルの改善に使っている。

コードは実行すれば、コンパイルやテストによって成否を確認できる。Cursorが持つのは単なるコードの集積ではなく、「課題、提案、実行結果、修正」が結びついた学習データである。

世界最高峰の実験基盤と、Cursorが持つ試行錯誤のデータ。その組み合わせによる成果が、Grok 4.5に表れ始めている。

AI市場では現在、最高性能を追うモデルと、一定以上の性能を低価格で提供するモデルへの二極化が進んでいる。AI新聞はこれを、「働く知能」と「安い知能」への分化として取り上げた。

Grok 4.5は総合性能でOpenAIやAnthropicの最上位モデルを全面的に上回ったわけではない。一方で、性能、速度、費用を合わせた評価では、米国モデルの先頭グループに入っている。

実際のソフトウェア修正に近い課題を使うVulcanBenchでは、PythonやRust、TypeScriptなど5言語の23課題のうち21件を解決し、テストされた11のモデル構成で首位になった。解決率は91.3%、1件を解決する費用は0.32ドルだった。

Claude Fable 5とGPT-5.6 Solの最高成績は20件。中国Moonshot AIのKimi K3はGrok 4.5と同じ21件を解決したものの、1件当たりの費用は1.37ドルだった。

23課題だけの結果で、Grok 4.5があらゆるコーディング作業で世界一になったとは言えない。ただ、実務に近い課題で、最上位モデルに並ぶ性能を低い費用で実現したことは確かである。

Grokは、デジタル世界のエンジニアリングにおいて、費用対性能を競う市場の先頭グループに入った。

SpaceXのデータで物理世界へ進めるか

Musk氏が次に示したのが、SpaceXのデータである。8月4日の決算説明会で、年内に投入するGrok 5に、同社が25年間に生み出してきた「基本的にすべてのデータ」を学習させると述べた。

ただし、具体的に何を学習させるのかは説明していない。設計文書やソースコードだけなのか、シミュレーション、地上試験、飛行中のセンサーデータ、回収後の点検記録まで含むのかは不明である。

SpaceXのデータが通常の技術文書と異なるのは、設計から実際の飛行結果までを結びつけられる点にある。

主力ロケットFalcon 9は、2026年3月末までに約620回の軌道飛行を実施した。第1段ロケットの着陸成功は570回、再利用機による打ち上げは540回を超えている。

同じ種類の機体を繰り返し飛ばすことで、地上試験やシミュレーションの予測と、実際の飛行結果を比較できる。しかもFalcon 9は第1段を回収するため、飛行中のセンサーデータと、回収後に確認した機体や部品の状態を結びつけられる。

飛行前の設計や予測が正しかったのか。どこに想定外の負荷がかかったのか。部品や設計を変更した後、結果はどう変わったのか。SpaceXには、こうした物理世界での答え合わせが蓄積されている。

失敗時の記録は、さらに情報量が多い。

2015年6月にFalcon 9が空中分解したCRS-7事故では、最初の異常からテレメトリーが途絶えるまで、わずか0.893秒だった。SpaceXは3000を超えるテレメトリーのチャンネルや映像、回収した破片を調べ、事故の経過をミリ秒単位で分析した。

NASAの独立調査チームも、異常が拡大した800〜900ミリ秒の出来事を再構成した。調査は原因を特定するだけでなく、対策が実施され、再飛行できる状態になったかまで検証している。

SpaceXが持つのは、完成した設計図や成功した飛行記録だけではない。設計、シミュレーション、試験、飛行、点検、故障分析、修正、再飛行までがつながったデータである。

Cursorでは、AIが作ったコードを実行し、テストによって結果を確認できる。SpaceXでは、設計やシミュレーションを実機の飛行結果と照合できる。

Grok 5がこのデータを適切に学べれば、SpaceXについて詳しいAIになるだけでなく、設計上の問題を見つけ、故障原因を絞り、修正案を示す工学AIへ進む可能性がある。

世界最高峰のAIデータセンター、デジタル世界のエンジニアの試行錯誤のデータ、ロケットという物理世界のエンジニアの試行錯誤のデータ。さらにはTeslaの自動運転の試行錯誤のデータや、人型ロボットの試行錯誤のデータも追加される可能性が大きい。NVIDIAのJensen Huang氏が「世界中のデータを収集するのには莫大なコストがかかる。イーロンには大きなアドバンテージ(強み)がある」と絶賛するのはこのためだ。

著者
湯川鶴章

AI新聞 編集長

AI新聞編集長。米カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校経済学部卒業。サンフランシスコの地元紙記者を経て、時事通信社米国法人に入社。シリコンバレーの黎明期から米国のハイテク産業を中心に取材を続ける。通算20年間の米国生活を終え2000年5月に帰国。時事通信編集委員を経て2010年独立。2017年12月から現職。主な著書に『生成AIで心が折れた』(2025年)、『人工知能、ロボット、人の心。』(2015年)、『次世代マーケティングプラットフォーム』(2007年)、『ネットは新聞を殺すのか』(2003年)などがある。趣味はヨガと瞑想。妻が美人なのが自慢。