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Hassabis氏は更迭されたのか Googleが狙う「科学AI」での逆転

Hassabis氏は更迭されたのか Googleが狙う「科学AI」での逆転

米GoogleがAI部門の大規模な人事に動いた。Google DeepMindを率いてきたDemis Hassabis氏がCEOを退き、会長兼Alphabet Chief Scientistに就任。Google DeepMindの経営とGemini開発の指揮は、CTOだったKoray Kavukcuoglu氏に引き継がれる。

Hassabis氏は日々の経営から外れる。Googleでは著名研究者の退社も相次いでおり、GoogleのAI競争力が低下し、Hassabis氏が事実上更迭されたという見方が出ても不思議ではない。

ただ今回の人事で、AI業界の勢力図が大きく変わったわけではない。

むしろ注目すべきなのは、AIの競争そのものが二つに分かれ始めていることだ。一つは科学の発明や発見を目指すAI。もう一つは、企業の日々の仕事を効率化するAIである。

Googleは今回、この二つの競争に別々の責任者を置いた、と見ることもできる。

Geminiは今まで通り強い

2025年末の時点では、AI業界は米OpenAI、米Anthropic、米Googleの「3強」だという見方が一般的だった。

半導体・AI業界の調査会社SemiAnalysisも、当時の3社を明確な「AIビッグ3」だったと振り返っている。ところが2026年に入り、この構図が崩れ始めた。同社は、OpenAI、AnthropicとGoogle DeepMindとの差が開き、最先端モデルの性能だけで見ればGeminiは大きく順位を落としたと指摘している。

ただし、ここで重要なのは、AI市場そのものが二つに分かれ始めていることだ。

一つは、人間がまだ解けていない数学や科学の問題を解き、新しい発明や発見につなげるAIである。

OpenAIは最新の最先端モデルをこの方向に向け始めている。5月には、約80年間研究されてきた離散幾何学の「単位距離問題」で、汎用推論モデルが長年信じられてきた予想を覆す証明を発見したと発表。8月には数学や理論計算機科学の未解決問題でも新しい成果を公表した。

この競争では、Googleは以前ほど存在感を示せていない。

しかし、もう一つの巨大な市場がある。企業の日々の仕事を動かすAIだ。

メールを書く。資料を作る。大量の文書を処理する。コードを書く。AIエージェントを業務システムの中で大量に動かす。この市場では、最高難度の数学問題を解けるかどうかより、十分な性能を持ったAIをどれだけ速く、安く使えるかが重要になる。

この物差しで見ると、Geminiは今でも強い。

AIモデル評価会社Artificial Analysisの最新比較では、Gemini 3.6 Flashの出力速度は毎秒232トークンで首位。2位のNemotron 4 3 Ultraの171トークンを大きく上回る。コストパフォーマンスでも、低価格を武器とする中国モデルが並ぶ先頭グループに食い込んでいる。

つまりGoogleは、AI競争全体で後退したわけではない。

科学の発明・発見を目指す最先端AIではOpenAIやAnthropicに遅れ始めた。一方、企業が大量に使うAIでは、速度とコストを武器にGeminiは依然として先頭グループにいる。

今回のHassabis氏の人事を見るには、この二つの競争を分けて考える必要がある。

更迭か、それとも次の勝負への専念か

一般メディアなどの解説を見ると、今回の人事異動を「更迭」と見る向きが多そうだ。確かにHassabis氏はGoogle DeepMindのCEOを退き、Gemini開発を含む日々の経営をKavukcuoglu氏に引き渡す。短期的な製品開発や商業化の指揮から外れるという意味では、「更迭」と受け取られても不思議ではない。

だがGoogleは同時に、Hassabis氏をGoogle DeepMind会長兼Alphabet Chief Scientistに就けた。Googleの今回の発表によると、GoogleとAlphabetのCEO、Sundar Pichai氏は、Hassabis氏が「AGIの未来を形作ることに全力を注げる」ようにするための人事だと説明している。

ここが今回の人事を見るうえで重要だ。

Hassabis氏が長年追い続けてきたのは、単に便利なAIを作ることではない。AIを使って、人間がまだ知らないものを発見することだ。

その考え方はDeepMindの歴史にも一貫している。

2016年、AlphaGoは世界トップ棋士Lee Sedol氏との対局で、人間の専門家がほとんど考えなかった「第37手」を指した。Hassabis氏は今年、AlphaGoから10年を振り返った文章で、この一手について、AIが人間をまねるだけでなく「まったく新しい戦略」を発見できることを示したと振り返っている。その後のAlphaFoldでは、AIを科学的発見に使う可能性を現実のものにした。

そして現在、Hassabis氏がAGIへの重要な鍵と考えているのが「世界モデル」だ。

現在のLLMは主に言葉の世界を学習している。それに対して世界モデルは、物理世界がどう動き、ある行動を取れば次に何が起きるのかをAIに理解させようとする。Google DeepMindは世界モデルの研究を進めており、Hassabis氏は世界モデルに、AlphaGoで培った探索や計画の技術などを組み合わせることがAGIにつながると考えている。

そして今、世界モデルに賭けているのはGoogleだけではない。

AI研究の第一人者Fei-Fei Li氏が共同創業した、世界モデルを開発する米World Labsは今年2月、10億ドルを調達した。同社は画像や動画、文章から3D空間を生成する「Marble」をすでに公開しており、世界モデルをロボットや科学的発見などへ広げようとしている。(World Labsの発表)

Metaの元Chief AI Scientist、Yann LeCun氏もMetaを離れ、世界モデルを開発する仏AMI Labsを共同創業した。同社は3月、10億3000万ドルを調達。「現実世界を理解し、記憶し、推論し、計画できるAI」を目標に掲げている。(AMI Labsの発表)

まだ世界モデルがLLMに代わる次世代AIの中核技術になると決まったわけではない。ただ、世界的な研究者と投資家が相次いで巨額の資金を投じ始めたことは、この方向への期待の大きさを示している。

もし世界モデルから現在のLLMとは異なる新しいAIが生まれれば、AI業界の勢力図は大きく塗り替わる。LLMの性能を競う今の順位が、一気に意味を失う可能性もある。

ここにGoogleならではの強みがある。

OpenAIとAnthropicはAIを主力事業とする企業だ。現在のLLMをさらに磨き、コーディングエージェントなどのサービスで収益を伸ばしていくことが、本業の成長に直結する。

Googleは事情が違う。検索広告やクラウドなど、AI以外にも巨大な収益源を持つ。しかもGeminiは、企業向けAIでは速度やコストで今も先頭グループにいる。

だからGoogleは、Geminiで現在のLLM競争を続けながら、同時に世界モデルという別の技術にも大きく賭けることができるのだ。

もちろん、世界モデルが成功する保証はない。だが本当に次世代AIの中核技術になれば、GoogleはOpenAIやAnthropicの後を追って先頭集団に戻るだけではない。現在のLLMを前提とした競争そのものを変え、一気に両社を引き離す可能性もある。

その可能性に賭けて、Hassabis氏を日々のGemini開発から外し、次の技術に専念させる。今回の人事はGoogleの後退ではない。もっと大きくジャンプするために、少しかがんだだけだという見方もできるのだ。

著者
湯川鶴章

AI新聞 編集長

AI新聞編集長。米カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校経済学部卒業。サンフランシスコの地元紙記者を経て、時事通信社米国法人に入社。シリコンバレーの黎明期から米国のハイテク産業を中心に取材を続ける。通算20年間の米国生活を終え2000年5月に帰国。時事通信編集委員を経て2010年独立。2017年12月から現職。主な著書に『生成AIで心が折れた』(2025年)、『人工知能、ロボット、人の心。』(2015年)、『次世代マーケティングプラットフォーム』(2007年)、『ネットは新聞を殺すのか』(2003年)などがある。趣味はヨガと瞑想。妻が美人なのが自慢。