「図面を見せれば溶接」の次は、現場データの循環
ファナックは9月11日、部品の図面を読み取ってロボットにアーク溶接をさせる「AI溶接エージェント」を発表した。その9日前には、経済産業省の担当課長が、フィジカルAI(AIがロボットなど現実の機械を動かす技術)の開発と現場への導入を並行させる政策を語っている。政府は2040年に世界シェア3割超という旗を掲げるが、二つの動きが突きつけるのは市場の奪い合いより手前にある課題だ。現場でAIを動かし、その運用から集めたデータでAIを賢くする循環を、どう回すか。日本だけでなく、米国も中国も同じ宿題を抱えている。
図面を撮れば、条件も動きもAIが決める
発表文によると、AI溶接エージェントは設計図から材料と完成品を読み取り、電流・電圧といった溶接条件とロボットの動作を自動で作る。ファナックはこれを「ゼロ設定、ゼロ教示」と呼ぶ。作業者は生成された内容をそのまま実行しても、手直ししてから溶接してもよい。
頭脳には米グーグルの企業向け生成AI「Gemini Enterprise」を使う。図面は協働ロボット「CRX」の操作用タブレットに内蔵されたカメラで撮るため、新たな機器は要らない。利用者はグーグルと別途契約を結ぶ必要がなく、ファナックとの既存契約のもとで定額課金で使える。特定の溶接電源にも縛られない。9月16日からの国際ウエルディングショーで実演し、12月末に出荷する。日本経済新聞は、作業者がプログラムを打ち込む必要がなくなり、中小企業でも導入しやすくなると報じた。
この製品の意味を、知財の視点から読み解いた弁理士の中村幸雄氏はこう整理する。製品が頻繁に変わる多品種少量の現場では、切り替えのたびに教示やプログラムの変更が発生し、その準備作業そのものが自動化の壁になってきた。そのうえで中村氏は、AIが図面を正しく理解することと、その理解を位置や姿勢、速度、電流といった物理条件に落とし込むことは別の技術で、後者には現場ごとの蓄積が要ると指摘している。
溶接工が足りないのは日本だけではない
ファナックは発表文で、アーク溶接は自動車・トラック部品、建設資材、造船を支える基盤技術だとしたうえで、条件出しや教示ができる熟練者が日本と世界で不足し、資材の納期が延びる一因になっていると書いた。
米国の数字は深刻だ。米国溶接協会によると、米国の溶接の担い手は約77万1000人。うち15万7000人超が引退を控え、需要を満たすだけで2029年までに32万500人の新たな溶接工が要る。
政策との接点もはっきりしている。政府のAIロボティクス戦略は、2040年までに1000万台規模のAIロボットを国内に導入する18分野を定め、その筆頭に多品種少量生産の製造業を挙げ、造船も含めた。溶接エージェントは、戦略が名指しした現場にそのまま入っていく製品だ。
経産省が狙う「使いながら賢くする」仕組み
9月2日の「AIリーダーズ会議 2026 Autumn」に登壇した経済産業省の渡辺琢也AI産業戦略課長は、ロボットの頭脳となるフィジカルAIの開発と、多用途ロボットの現場導入を並行して進める政策を解説した(日経クロステック)。頭脳の側では「フィジカルAIを支えるモデルを日本が持っていないのは危うい」と述べ、国産のマルチモーダル基盤モデルの開発計画を紹介した。
導入の側で要になるのが、国の支援を受ける一般社団法人AIロボット協会(AIRoA)だ。AIRoAは2025年度に約8万時間分のロボット動作データを集め、そのうち5000時間分を公開した。ただ、公開データの拠点別の内訳を見ると、Telexistenceが60.7%、九州工業大学が30.6%で、この2カ所だけで9割を超える(AI新聞)。量は積み上がったが、実際の暮らしや仕事の場から集めたデータとはまだ言いにくい。
そこでAIRoAが次に手がけるのが、実際の家庭にロボットを置く事業だ。発表文によると、家庭にロボットを配備して動作データを集めるだけでなく、利用者による指示や評価も回収する。データの蓄積とモデルの改善が循環する仕組みの確立を目指し、2026年9月から2027年8月までの実施を予定する。9月16日には、AIRoAのコンペに参加する国内7社が試作機を公開した。審査を勝ち抜いた機体は、基盤モデル開発に必要なデータの収集用ロボットとして使われる(事業構想オンライン)。
ファナックの溶接エージェントは導入の側の具体例だが、発表文は循環の側に触れていない。むしろファナックは、読み取った図面などのデータは強固に守られ、別の利用者のAI学習に流用されることはないと約束している。製造業の顧客にとって図面は門外不出の資産で、この約束なしに導入は進まない。現場データを回したい政策と、データを守りたい現場の間には、はじめから緊張がある。
中国の「データ工場」も同じ壁に当たる
規模で先を行く中国も事情は変わらない。人民日報によると、北京智源人工智能研究院の黄鉄軍理事長は、ロボットの訓練環境の整備が第15次5カ年計画(2026〜2030年)に盛り込まれたと説明し、現実の環境で訓練と試験をしなければ研究室の外には出られないと語った。
海外テック報道サイトのRest of Worldによると、EC大手の中京東集団(JD.com)は地元の宿遷市と組み、2年間で1000万時間分の訓練データを作る計画だ。住民が家事をする姿を自ら撮影すると報酬が出る。広東省では、工場の作業員に頭部カメラや手首のセンサーを着けてもらう取り組みも進む。ただ、作業が遅くなるのを嫌って参加をためらう工場主もいる。データ収集業者のCarson Lin氏は、訓練を終えたロボットがいずれその工場で働くようになると説いて回っている。
シェア目標の前に、循環を回せるか
溶接の現場でも、家庭でも、中国の工場でも、課題の形は同じだ。AIを現場に入れること自体は、ファナックの製品が示すように手の届くところまで来た。難しいのは、入れた後の運用からデータを取り出してモデルに返す流れを、現場の信頼を損なわずに作ることだ。図面を守ると約束する機械メーカーも、作業が遅くなると渋る広東の工場主も、同じ問いの前に立っている。
2040年の世界シェア3割は、この循環を回せた国と企業に結果としてついてくる数字にすぎない。熟練工が減り続けるのは日本も米国も中国も同じで、宿題の締め切りは各国に等しく迫っている。