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賢いAIだけでは仮想細胞は作れない AI大手が実験データづくりに資金

賢いAIだけでは仮想細胞は作れない AI大手が実験データづくりに資金

「これまでにない規模の、誰もが使える実験データがなければ、この課題は解けない」。米Google傘下のAI研究組織Google DeepMindで科学研究向けAIを統括する副社長、Pushmeet Kohli氏は10月7日、「仮想細胞」についてこう語った。仮想細胞とは、細胞の働きをAIで再現し、薬や遺伝子操作への反応を予測する技術だ。最先端のAIを開発する当事者が、足りないのはAIの賢さではなくデータだと認めた形だ。

同社はこの日、英AI創薬企業Isomorphic Labs、米Metaとともに、米非営利生命科学研究機関Biohubの細胞データづくりに計3億ドルを投じると発表した。米OpenAIの非営利の親組織であるOpenAI財団や米Anthropicも、データづくりや自前の実験に乗り出している。

細胞のデータは、実験しなければ生まれない

ChatGPTのような言語AIは、ネット上にあふれる膨大な文章を学んで賢くなった。これに対し、仮想細胞が学ぶべきなのは、薬を加えたり遺伝子の働きを止めたりしたときに細胞の中で何が変わったかの記録だ。こうした記録は、誰かが実験しない限り生まれない。

今の仮想細胞の実力は、まだ心もとない。米Stanford大学計算機科学科教授のJure Leskovec氏らが4月に公表した検証によると、モデルが有望とした上位5%の遺伝子を試すだけで、細胞に目立った変化を起こす遺伝子の25〜45%が見つかった。どの実験から手をつけるかを決める道具としては役立つ。ただ、実験そのものを置き換えられる精度にはほど遠いという。

AIを大きくすれば解決するわけでもない。米AI創薬企業Xaira Therapeuticsは3月に公開した論文(査読前)で、同じ学習データのままAIモデルを約40倍まで大きくし、予測の精度を比べた。精度は約20倍を超えたあたりで頭打ちになった。論文は、学習に使った実験データの種類が少なすぎることが原因だと分析している。

では、どれだけのデータが要るのか。Biohubで科学部門の責任者を務めるAlex Rives氏によると、今ある細胞のデータは数億個分にとどまる。信頼できるモデルを作るには数十億個分、いずれは数兆個分のデータが必要になるという。将来は今の千倍以上のデータを、実験で一から作らなければならない計算だ。

AI大手は「データを作る側」にお金を出す

データづくりの中心にいるのがBiohubだ。Meta最高経営責任者(CEO)のMark Zuckerberg氏夫妻が支援する研究機関で、4月に5億ドルを投じる構想を立ち上げた。10月7日には参加者が広がり、Google DeepMindなど3社の3億ドルに加え、米エネルギー省も5年で5億ドル超を出すことになった。既存データや計算資源の提供も含めると、総額は18億ドル規模になる。

企業が加わる理由もはっきりしている。米ニュースサイトAxiosによると、資金を出した企業は、自らが関わって作ったデータを、一般公開の前に1年間独占して使える。Rives氏は「企業に参加してもらうには見返りが要る。公開までの猶予期間がその見返りだ」と説明した。

OpenAI財団も9月、生物医学のデータづくりに特化した助成制度を始めた。初回の助成額は1億2,500万ドルを超える。例えば米ノースカロライナ大学には、がんワクチン開発に向けたデータ収集の費用として4,000万ドルを出す。

Anthropicは9月、米テクノロジーニュースサイトTechCrunchの取材に対し、シリコンバレーに自前の生物実験施設を持っていることを認めた。AIモデルを使って実際の実験を行える施設で、創薬より基礎的な生物学の研究に重点を置く。生命科学部門の責任者を務めるEric Kauderer-Abrams氏は「生物学で最後に答えを出すのは、今も、そしてしばらくの間も、実際の実験だ」と話す。

勝負は「賢いAI」から「良質なデータ」へ

新興企業も同じ結論に行き着いた。仏AI創薬スタートアップRivercellは10月7日、2,500万ドルの資金調達を発表した。既存の実験装置では必要な量のデータを作れないとして、パリの自動化した実験室を広げ、仮想細胞の学習用データを自ら生み出す計画だ。共同創業者でCEOのYann Fleureau氏は、「足りないのはデータだ」と言い切る。

仮想細胞をめぐる競争の軸は、AIの賢さから、良質な実験データを誰がどれだけ作れるかに移りつつある。Rives氏は、最初のデータセットが約1年後にそろい、正確な予測モデルは5年以内に実現できるとみる。仮想細胞が実験の代わりになるかどうかは、このデータが出そろう数年後に見えてくるというわけだ。

著者
湯川鶴章

AI新聞 編集長

AI新聞編集長。米カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校経済学部卒業。サンフランシスコの地元紙記者を経て、時事通信社米国法人に入社。シリコンバレーの黎明期から米国のハイテク産業を中心に取材を続ける。通算20年間の米国生活を終え2000年5月に帰国。時事通信編集委員を経て2010年独立。2017年12月から現職。主な著書に『生成AIで心が折れた』(2025年)、『人工知能、ロボット、人の心。』(2015年)、『次世代マーケティングプラットフォーム』(2007年)、『ネットは新聞を殺すのか』(2003年)などがある。趣味はヨガと瞑想。妻が美人なのが自慢。