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Anthropicが薬を作り始めた それでも製薬大手が手を組む理由

公開日
2026.10.28
Anthropicが薬を作り始めた それでも製薬大手が手を組む理由

米Anthropicが自ら薬づくりに乗り出した。同社は10月27日、社員1人の創薬スタートアップを買収して進めてきた筋ジストロフィーの治療薬開発で、マウスで有望な結果が出たと明らかにした。

製薬会社から見れば、薬を作るAI企業は将来の競争相手になりうる。ところが前日に提出された同社のIPO目論見書によると、世界の製薬大手上位10社のうち9社がすでに顧客だ。9月にはデンマークの製薬大手Novo Nordiskも新たに提携を発表した。製薬大手はなぜ、薬を作り始めたAI企業と手を組むのか。

道具を売り、薬も作る

Anthropicの医療・創薬事業は二本立てだ。

一つ目は、製薬会社や研究者に道具を売る事業である。6月30日に投入した「Claude Science」は、論文検索や遺伝子解析など、研究者がばらばらに使ってきた道具を一つにまとめたアプリだ。同社で生命科学部門を率いるEric Kauderer-Abrams氏は、プログラミング支援の主力製品Claude Codeに並ぶ重要な製品だと位置づける。効果も出始めている。創薬スタートアップの米Envedaでは、薬の製造記録の点検をClaudeに任せたところ、人による確認作業の時間が89%減った。

二つ目が、自社での薬づくりだ。Anthropicは同じ6月30日に自社の創薬プログラムを始めると表明した。9月にはロイター通信が、同社が実験用の生物学ラボを設けていると報じた。冒頭の筋ジストロフィーの案件では、買収したMithril Medicineの創業者Cody Tranbarger氏が、11の外部ラボとの契約や実験の段取りをClaudeに任せ、構想から18カ月足らずでマウスでの成果にこぎつけた。

道具を売る会社が、なぜ薬まで作るのか。Kauderer-Abrams氏は「業界を加速するモデルや道具を作るには、業界と同じ現場に身を置かなければならない」と説明する。実際、Anthropicは10月27日の報告で、自社の案件や提携先との研究で見つかった課題をもとに、モデルの改良点をすでに絞り込んだと明かしている。

自ら引いた3本の線

製薬会社の警戒に対し、Anthropicは3本の線を引いている。

一つ目は、臨床試験をやらないことだ。新薬開発は、薬の候補を探す初期の研究と、人で効き目と安全性を確かめる臨床試験に大きく分かれる。ロイター通信によると、Kauderer-Abrams氏は競合への配慮もあって、当面は臨床試験を手がけないと線を引いた。

二つ目は、大手が手を出さない病気を選ぶことだ。自社創薬の対象は、従来の製薬・バイオ企業が採算に合わないとみる領域に絞る。筋ジストロフィーの案件も、子どもがかかるまれな病型が対象だ。

三つ目は、顧客のデータに手を付けないことだ。ロイター通信によると、Anthropicは顧客のデータを自社から見えないように隔離している。9月に始めた生命科学向けの認証制度でも、監視のために保存するデータはモデルの学習に使わず、自社の生命科学の研究チームも見られないと明記した。製薬会社の研究内容が、Anthropic自身の創薬に流れ込まない仕組みだ。

Kauderer-Abrams氏は「薬を市場に出すことを商売にしている製薬・バイオ企業と、我々は競合しない」と強調する。

この線引きが製薬会社にとって意味を持つのは、新薬開発の費用と時間の大半が臨床試験にかかるからだ。イスラエルの創薬AI企業ImmunaiのNoam Solomon CEOによると、臨床開発に入ってから承認までは平均約10年、費用は約27億ドルかかり、臨床試験の9割超が失敗する。同氏はAnthropicの取り組みについて、最も高くつき、最も失敗しやすい部分には手を付けていないと批判する。裏を返せば、製薬会社が巨額を投じて競い合う本丸に、Anthropicはまだ踏み込んでいない。

ただ、この線はあくまで「当面」のものだ。Anthropicは筋ジストロフィーの治療候補について、早ければ2028年後半に人での試験を始められると見込む。自社の案件の進展に合わせて、Claudeの役割を臨床試験にも広げていく方針も示している。

データは渡さず、道具として使う

製薬大手が手を組むもう一つの理由は、データの扱いにある。

投資家で、人気ポッドキャスト番組All-Inの共同司会者を務めるDavid Friedberg氏は7月、Anthropicが生命科学に特化したモデルを作るため、製薬各社に独自データの提供を持ちかけ、ほぼ全社に断られたと番組で語った。巨額を投じた実験から生まれたデータは製薬会社の真の資産であり、他社のデータと混ぜられれば唯一の強みを手放すことになるからだという。

製薬会社は、データを外に出さずにAIを鍛える道も探り始めている。製薬大手5社は、各社のデータを手元に置いたまま学習の成果だけを持ち寄る仕組みを使い、薬の候補物質が標的のたんぱく質にどう結合するかを予測するAIモデルを共同で鍛えた。生かした独自データは計2万件を超える。

一方のAnthropicは、顧客のデータに頼らず、自前のラボで仮説を確かめる体制を整えた。Kauderer-Abrams氏は「生物学の最終的な検証は、今もこれからもしばらくは、実際の実験だ」と語る。

Novo Nordiskとの提携は、こうしたデータの扱いを前提にしている。発表文によると、両社が取り組むのはNovo Nordiskの科学者たちが選んだ創薬上の課題で、まずClaude Scienceを特定の研究業務で試す。提携はデータ管理と人間による監督を組み込んで設計したとする一方、Novo NordiskのデータをAnthropicのモデル学習に提供するといった記述はない。

Novo Nordiskは以前からのClaudeの利用者でもある。Claudeで作った文書作成の仕組みで、臨床試験の文書づくりにかかる時間を10週間以上から10分に縮めた。4月には米OpenAIとも戦略提携を結んだ。Novo Nordiskにとって最先端のAI企業は、複数から選んで使う道具の売り手であり、データを差し出して共通のモデルを育てる相手ではないということだ。

それでも警戒が消えたわけではない。ロイター通信は関係者の話として、顧客である製薬企業はAnthropicに自社の創薬計画から学ばれることを心配していると報じている。Novo Nordiskが発表文でわざわざデータ管理に触れたのも、こうした警戒を意識したものだろう。

線の上に成り立つ共存

製薬大手が薬を作り始めたAnthropicと手を組めるのは、Anthropicが臨床試験に踏み込まず、顧客のデータにも手を付けないから。製薬会社はデータを手元に置いたまま最先端のAIを使え、Anthropicは自前のラボで薬づくりの経験を積める。ただ、その線を引いたのはAnthropic自身であり、しかも「当面」のものにすぎない。筋ジストロフィーの治療薬が人での試験に近づいたとき、この共存が維持されるのかどうか。AIで社会の仕組みや常識が大きく変化する時代の中で、AI企業と顧客企業との関係性が変化するのかどうか。注意深く見守っていきたい。

著者
湯川鶴章

AI新聞 編集長

AI新聞編集長。米カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校経済学部卒業。サンフランシスコの地元紙記者を経て、時事通信社米国法人に入社。シリコンバレーの黎明期から米国のハイテク産業を中心に取材を続ける。通算20年間の米国生活を終え2000年5月に帰国。時事通信編集委員を経て2010年独立。2017年12月から現職。主な著書に『生成AIで心が折れた』(2025年)、『人工知能、ロボット、人の心。』(2015年)、『次世代マーケティングプラットフォーム』(2007年)、『ネットは新聞を殺すのか』(2003年)などがある。趣味はヨガと瞑想。妻が美人なのが自慢。